開発拠点訪問タイ工場

タイ工場 塚本社長インタビュー

タイ工場がスタートしてからおよそ25年。
ソディック全体の4割の生産比率を占める、主力工場として成長しています。

タイ工場を当時から知る塚本社長から、タイ工場が成長した理由、タイ人スタッフとともに働くこと、2011年の洪水のときのお話などを伺いました。

ソディックタイ工場 塚本英樹社長

タイ工場の特長について教えてください。
1000名を超えるタイ人スタッフとともに、設計から組立てまで全工程を一貫して行っています。製造しているのは、ワイヤ放電加工機11機種、形彫り放電加工機9機種、射出成形機4機種の合計24機種。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、そして日本へも輸出しています。
タイ工場はソディックグループの工場の中で4割の生産台数を占めます。ここまで成長した理由はどこにありますか?
設立当初は、アメリカ向けの低価格機を、為替リスクの少ないタイでつくろうという計画でした。けれど、一つのマーケットで景気の波に左右されるので、これを避けるため、生産する機種を徐々に増やしました。そして、安定生産のために生産力をアップし、アメリカからヨーロッパ、日本へマーケットを広げていったのです。この辺を追求したことで、成長へとつながりました。各国のメーカー、特に日本は日本製にこだわっていましたが、10年ぐらいかけてタイ製を認めてもらったのですよ。そのころには、月100台以上の生産ができるようになっていました。
なぜ、設立当初から、部品生産や組立てなど多くを社内で行っているのですか?
25年前の進出時は外注できる企業がなく、ソディックは自分たちでいろいろやりました。社内でやらざるを得ない状況とも言えましたね。ですが、現在でも、外注でないと製造できないというものは出さないようにしています。
自社でつくってみて、できるものを外注する。だからこそ価格が見え、相手に値段を握られない。また、景気の波を受けても社内の生産量を確保でき、社員を減らさないようにできます。社内で一貫することでいろいろ応用がきいています。
タイ人スタッフについて、勤続年数の長い方が多いそうですね。
働きやすい環境をどのようにつくってきたのですか?

教育風景

コミュニケーションを大切にしてきました。タイは上下関係がしっかりしている国です。上司から部下に一方的に指示することも多く、会社として確立していればそれで良いですが、我々のようなこれから発展していこう、という会社では下の人間の意見をいろいろと取り入れていかないと風通しが悪くなってしまいます。彼らが「本当にわかっているか」というところから始まり、しつこく、しつこく理解できているか聞いて仕事につなげていきました。 最近は、設立当初と違い、工業の知識を持った人が入社しています。それでも、階層をつくって、その人たちのやるべき仕事をはっきりさせ、仕事を効率よく進める環境をつくっています。これがスタッフの働きやすさに繋がっていると思います。
2011年に大規模な洪水がおこり、タイ工場も被害に遭いました。
当時の状況など教えてください。

洪水被害の当時・過去

タイ工場では、他のソディックの工場では一切生産していない、プリント基板を生産しています。この供給が遅れると、他国のソディックでの生産にまで影響がでてしまい、大変な事態が想定できました。幸いにもプリント基板の生産現場は2階で、洪水の被害を直接受けておらず、ここだけは止めてはならない、と。ベテランのMr.Sompol(※タイ人スタッフのインタビューでも登場)が中心となって、洪水で一帯がドロ水になった中、大型発電機をいかだに乗せて持ってきて乗り切ったのです。日に日に水面が下がってくると、発電機も下に下がってくるような状況でした。
普段は日本人スタッフが指示を出す立場ですが、日本人が考えている間にどんどんタイ人が自発的にアイデアを出して行動してくれ心強かったですね。
そして、翌年にはリスクヘッジとして、第二工場を完成させました。

タイ工場の今後の展開を教えてください。

塚本社長

長年、放電加工機の生産を行ってきたタイ工場ですが、2013年、射出成形機の製造を開始しました。また、機械の需要はマーケット次第で変わりますが、主力製品の放電加工機の販売台数は既に最大手のシェアを占めていますので今後急増するとも考えられません。なので、新しいことを行うというより、今タイ工場でできることを突き詰めていきたいです。
他の会社が対応できないような、たとえば、特殊仕様機を短納期、低価格で供給できるよう追求したいです。品質の向上や効率を上げることなど、地味ですが地道に努力していきます。

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