開発拠点訪問ソディックアメリカ

豊永竜生センター長 インタビュー[2]
1998年、初のリニアモータ搭載のマシンをリリース。
自社製モーションコントローラ、NC装置の開発へ。

それから、モーションコントローラ開発のメンバーの一員として、米国での生活が始まるのですね。開発拠点はどのように築いたのですか?

設立当時のメンバー
設立当時のメンバー
実はソディックが米国に開発拠点を置くのは初めてで、ノウハウもコネクションもないままサンノゼに拠点を置きました。当初、2年あれば自社製モーションコントローラは完成すると考えられていて、その期間である2年の赴任予定で私はサンノゼへ。私を含め、日本からの4名で出発したオフィスで、そのなかの1名は現在の金子社長です。

サンノゼはやはり開発に良い影響を与えましたか?

実際にサンノゼに住み、情報を集め出したら、ごく近くに最先端の情報があるのです。ここでは非常に良い影響を受けました。今もセミナーや展示会はよく開催されていますし、何といっても世界中から集まる優秀な技術者を雇用できるのはメリットです。

2003年に最初の製品がリリースされました。自社製モーションコントローラの開発は、少人数で行われたとのこと。どんな苦労がありましたか?

豊永竜生センター長 ハードウエア、ソフトウエア両方の開発で設立当初は4、5名体制でした。ハードウエアの方は、日本人は私一人。11年駐在し、NC装置「M4LINK(エムフォーリンク)」の開発まで携わりましたが、その人数であらゆることをやらなければならないのは大変でしたね。その一方、人数が少ないことで情報共有がしやすかったし、ソフトウエアとハードウエアの双方で一緒に試行錯誤ができたので、考え方のアンバランスが出なかったのは非常に良かったです。

どのように開発を成功に導いたのですか?

最初にマシニングセンタに自社製モーションコントローラを搭載して動かしてみると、加工部分であるX軸、Y軸の移動の応答はそこそこ。ソディックアメリカ単体での開発終了時点では、機能や性能面ではまだまだ改良の余地はありました。その後、1年程度かけてソディック内での評価結果を取り入れながら、ソフトやハードの無駄な部分をとり、徐々に機能・性能を引き上げたのです。

ソディックが工作機械メーカーというのは、やはり強みになりましたか?

豊永竜生センター長
ソフト部門とハードウェア部門が試行錯誤しながら開発を行いました。
はい。開発したモーションコントローラをマシニングセンタや放電加工機の加工や操作のプロフェッショナルが評価し、フィードバックをリアルタイムでもらえたのは、やはり大きいですね。性能、価格の面で壁にぶっかったとしても、最善の道を模索することが出来る。自社で製品をつくり、社内にその道のプロがいるのは強みです。

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