ソディックの歴史番外編 世界を驚かせたソディック:初のNC放電加工機

1971年前後から1985年までの時代背景
NC放電加工機を開発し、世界のものづくりに貢献

ラジオが持ち運べるほど小さくなった。だれもが驚く事だった。

真空管からトランジスタへ。

ラジオから電源コードがなくなり、持ち運べるほど小型で省電力になったのは、トランジスタの普及による。

当時、日本メーカが発売したトランジスタラジオは、値段は13,800円、当時の一般的な会社員の月収ほどの価格。
高価だが売れていた。

そのころ、ソディックがひとつの組織になりかけていた。

日々毎日、技術革新がおこる この時代に、トランジスタはIC(集積回路のこと。以下全てICと表記)になった。1971年には、まだ小さな、ベンチャー企業だったインテル社は、日本の企業と共同で開発したマイクロプロセッサ“4004”を発表した年で、このNCの物語は4004の時代から始まります。インターネットは影も見えず、Webも有りません。コンビニも有りません。携帯電話もスマホも有りません。さしずめ吉幾三さんの”俺ら東京さ行くだ”の“俺らこんな村いやだ”の世界ですね。そうだ懐かしい8トラックのカラオケは有りました。

1970年始めごろの放電加工機は、加工物を置くテーブルをハンドルを廻して場所を決める、人の勘に頼ったものでした。それだけでなく、側面方向をキレイに仕上げたり、加工精度を上げたりすることも難しいものでした。機械を動かすには職人技が必要でした。そこでソディックが開発したのがローラン技術です。パルスモータをデジタル制御し、正確な動きを電極に伝え、少ない電極で仕上げ加工も簡単になり、精度が格段に向上しました。

NC放電加工機
NC放電加工機

NC装置については、マシニングセンタや旋盤用のものが他社で量産が始まっていたころです。
こうした中、1976(昭和51)年8月、「株式会社ソディック」が設立。前身のメップ時代から放電加工機のNC化研究開発が行われ、設立後間もない同年の12月に「マイクロコンピュータ付きNC形彫り放電加工機第1号」が納入されました。
そして、翌年3月にはNC形彫り放電加工機用電源装置「GPC」シリーズが完成。放電加工機をNC化したことにより、加工の精度は飛躍的に向上し、自動運転も可能に成り、ソディックでは生産台数が追いつかないほど販売数を伸ばしました。

ソディックのNC放電加工機は、その後マークⅢ、マークⅣ、マークⅤ~1985年のマークXIへと進化を遂げ、車は基より、家電商品の、電話機、時計、テープレコーダー、CDプレーヤー、ラジカセ、ビデオデッキ、映写機、ビデオカメラ、ビデオデッキ、カメラ、パソコン、ラジカセ、等 板金用金型から、直ぐにプラスチック用金型が加わり、あらゆる物の生産に金型が使われました。今では相当部分がスマホに取り込まれて、中には単独での役割を終えた商品も多々有りますが、今でも金型は世界のものづくりに貢献しています。

真家信夫インタビュー インタビュアー 島村美樹:株式会社スタジオカリブー

放電加工機をNC化することになった経緯を教えてください
真家そのころ私は汎用のマニュアル機のハンドルの代わりにDCモーター※1とスケールを組み込みNC化を試みていました。感熱紙に指示書を書き込み、それを読み取りながら動作させていました。ICを大量に使っているだけに高温の熱が発生してしまう試作でしたが、これが最初のNC機といえるものです。当時のソディックには、「6ローラン」というパルスモーターを組み込み、ICを使って制御できる電極揺動装置が既にありました。また、移動量を大きくし、Z軸も追加した「細穴専用放電加工機」が作られてもいました。加工するときの位置決めには、細かく移動できるデジタルフィード(DF)という位置決め装置が開発されており、ワンプッシュでテーブルを操作できるようになっていました。NC化の前に、ソディックでは様々なICが使われていたし、パルスモーターが組み込まれた機械がその時有ったのです。NC化する為の手足が揃っていたのです。先輩達はすごかった。

※1 DCモーターはパルスモーターより回転を制御しやすいため他社の工作機械でもこれに移行している時期だった。
※2 Z軸、又はそれに平行な軸を中心として回転する軸
どのようにして開発を成功に導きましたか?また、開発の期間は?
真家 アメリカで1974年に開催されたショーに出向いた古川社長が、インテル社の4004という世界初のマイクロプロセッサを持ち帰っていました。でも、これだけではもちろん動かない。その後、私は今もソディックと交流のあるスタンレー電気株式会社の研究所へ行き、構造を理解するために彼らが所有するマイクロコンピュータのシステムを見学させてもらいました。そのとき組み込まれていたのは、4004の翌年、1972年に発表された8008でした。

そして、「6ローラン」をマイクロコンピュータ化すべく、同じ8008が自社に設置されました。私が初めて触ったマイクロコンピュータです。最初はまるでとっつけません。でも、ずっと触っていると半年ほどでアセンブリ言語に慣れてきました。プログラムを書くとモーターを制御してその通りに動いてくれる。「これはすごい!」と思いました。「6ローラン」にどうにか組み込んで、始めてパルスモーターがぐんぐん回ったときは嬉しかった。思った事をプログラムすればその通り動いてくれるのはとっても楽でした。

さらに、サーボ機能や現在値表示を加え、X、Y、Z軸、C軸、ローラン幅と形を順番に記憶し、修正もできる型に発展させました。それが、初のマイクロコンピュータを組み込んでNC化した放電加工機となる8001型です。
ここにたどり着くまで、アセンブリ言語になれるのに半年、マイクロプロセッサを組むために今までに扱ったことのないICを扱う必要があり、これを理解するのに1年。組んでは失敗を繰り返し開発に2年半ぐらいかかったと思います。
先輩たちが「6ローラン」のような画期的な機械を作っていて、土台があったことでNC化にすんなり取り掛かれたと思います。
完成したときの感想を教えてください
真家8001型は一応の完成形として世に出たわけですが、私の中では開発できたことに対する感情的なものはあまりなかったです。次にやることがあって、開発が終わったという感覚はないですから。
お客様側から放電加工機をNC化してほしいという要望があったわけではないから、開発期限はなく、焦ったり、苦労したりということはなかったです。
私は子どものころからエレクトーンやステレオを裏側から覗き、中学生になると半田ゴテを使って遊んでいたほど電気が大好きでした。会社に入っても週末も夏休みもなく、気が付いたら朝だったなんていうこともあったほど没頭してきました。仕事として好きなことを自由にやらせてもらえたことは幸せですね。
NC化はどのように受け入れられて、広がっていったのでしょうか?
PEM8002 細穴専用放電加工機 真家「8001型」の完成の後、テープ読み取り器を備えた「8002型」、小径ドリル機と組み合わせた「8003型」、4軸制御の「8004型」を作りましたが、販売台数はシリーズ合計で数台、これらは頭出し品のようなものでした。
その後、テンキーで数値入力ができる「GPC」を作りました。テンキーを使ってX、Y、Z軸、C軸と順に機械に動きを記憶させてNC動作させるものです。私にとって「GPC」はNC化した放電加工機として最初の完成形と思えるもので一番気に入っています。しかも、すごく売れたのですよ。
その後ワイヤーカット用輪郭制御ができるブラウン管やフルキーボードを備えた「マークⅢ」の時代になります。
NC化したことにより、何が変わったのでしょうか?
真家NC化した直後は加工をするお客様にとって大きな変化はなかったのですが、「8001型」~「GPC」、「マークⅢ」とその後の改良により大きく金型加工産業が変わりました。繰り返し加工が簡単になったことで、電極成形も自動で行いながら大量の同じ形状の加工も可能となりました。また、金型の精度不良もなくなり、より細かい加工もできるようになりました。ツールチェンジャー、パレット切り替えと連続無人運転も可能に成りました。制御対象があれば何でも制御できる時代に成りました。開発の主体はICの世界からプログラムの世界に方向が大きく変わり、新しい時代の幕が開けたということでしょう。プログラムもGコードで制御していたものがCAD/CAMになり、今後は音声やスマートフォンで動作を指示できる時代がくるかもしれないですね。

※G00、G01 などGに続く2桁の数字で位置決めなど行い機械の動きをコントロールする。
NC化から広がる工作機械の世界
当時のソディックの雰囲気は?
真家あのころは今と比べて何もなかったんです。解決したい話題がたくさんあって、開発のヒントがあふれていましたね。
今でこそソディックは自社でリニアモータやセラミックスを作っているけれど、当時は外部から買ってくるしかなくて、あればいいけど、なければあるものでどうにかしようという発想でした。試作品は手作りで、出来上がったらそれを自分でトラックに乗せ、固定して、運転して取引先に届けたりして。社員30名ぐらいの人がそれぞれがテーマを持って熱心に開発に取り組んでいましたね。
開発担当 真家 信夫 幼いころから電機が好きで、人の感情を理解するロボットの登場を夢見ていたという真家さん。大人になってものづくりの世界に入っても、ずっとこうした未来を描きながら開発に没頭していたそうです。私たちに開発の話しをしながらも、ひとたび未来の機械やロボットの話しになると少年のように目を輝かせながら楽しそうに語ってくれたのが印象的でした。真家さんは「始めれば足りない物が判るから補いながら進めば良い。だから開発は自分を開発する事と同じで、やれば誰にでもできる」と言いますが、きっとそうした機械やロボットに対する情熱で開発を成功に導いたのだと思いました。
創業者が語るソディックの経営-顧客のために歩んだ発明の日々- 古川利彦 著 日刊工業新聞社

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