ソディックの歴史第1回 創業前夜~技術練磨・躍進期

技術練磨・躍進期(1980年~)
成長軌道を邁進

完成当時の福井工場(福井事業所)
完成当時の福井工場
(福井事業所)



NC放電加工機の発売により、ソディックは順調に売り上げを伸ばしていきました。しかし、更に売り上げを伸ばし大手放電加工機メーカーに対抗するには、自社工場の拡張が必須となっていました。

そこで1980(昭和55)年6月、空港から1時間以内とアクセスのよい福井県坂井市坂井町に、生産の主力となる福井工場(福井事業所)を完成させました。この福井工場では、「機械で機械をつくる」をコンセプトに、当初から最新鋭の設備を導入したことで、機械づくりの経験がない人でも優れた精度の放電加工機を生産できるようになりました。
同時に、協力企業が福井工場近くで製品部品などの製造を開始し、生産に必要な部品の安定した仕入れが可能となり、福井工場は早くから量産体制を築くことができました。

その結果、創業初年の1976(昭和51)年に7億円だった売り上げは、福井工場設立の翌年の1981(昭和56)年には61億円と急上昇し、工場の増設が必要なほどとなっていました。
その成長の勢いに合わせて、1982(昭和57)年10月には本社(新横浜)の新社屋を竣工。また、福井工場も二次、三次の増設に着手し、1983(昭和58)年には106億円、1985 (昭和60) 年には169億円と売り上げを伸ばしていきました。

そして、創業10年にあたる1986(昭和61)年2月には、放電加工機メーカー初の、東京証券取引所・市場第二部への株式上場を果たしました。
これは、お客さまの要望に沿うよう、たえず研究開発に力を注ぎ、最新技術を搭載したソディックの放電加工機がものづくりの現場で高く評価された証です。

ソディック創業者 古川利彦会長インタビュー 技術練磨・躍進期篇

設立から数年で劇的な成長を遂げられました。当時のエピソードを教えてください
コンロッド コンロッド 6気筒 古川 当時は作ったら作っただけ売れました。それだけ世の中に必要だったということだと思う。一番最初に作ったのは車のエンジン部品のコンロッドの鍛造金型でした。コンロッドは6気筒エンジンだったら6個いるし、12気筒だったら12個いる。それまでは同じ金型をたくさん生産するのは大変な作業でした。
それが放電加工機を使って銅電極で鍛造型を作ったら電極が減らずに何個でもできるので、お客さんには喜んでいただけましたね。
作り方の革命ですね
古川今でも本当に画期的なことだと思っている。
鋼鉄のような硬い素材を、銅のような柔らかい素材で磨耗せずに加工ができるなんて。
放電加工機がなかったら今はどうなっていたでしょうか
古川今の日本の産業の成長はなかったのではないかと思います。
電極が減らないという発見を元に、次々と新しい技術が生まれていった。
一番最初に作った金型がガラスのコップ、次が車のコンロッド、その次が車のヘッドライトのガラス。
そこまでいったら大丈夫だ、これは世の中のためになると思いました。



新技術開発ラッシュ

NCワイヤ放電加工機「330W」
5軸同時制御を可能にした、
NCワイヤ放電加工機「330W」

NC電源装置「MARK X」
NC電源装置「MARK X」

製品面では新技術の研究開発にさらなる力を注ぎ、開発スタッフは「一人ひと月一件特許出願」を行なうほどの実験や検証の日々を送っていました。

福井工場が完成した1980(昭和55)年の8月には、NC形彫り放電加工支援ソフト「アシスト」を、同年10月には鏡面仕上げ回路「PIKA-1」を開発。
翌年1月には、5軸同時制御のNCワイヤ放電加工機「330W」を開発し、従来できなかった複雑な形状の加工も可能となりました。
1982(昭和57)年1月、16ビット・マイコン内蔵形の放電加工機用電源装置「8133」を開発し、販売を開始しました。同年3月には放電加工用高性能特殊加工液「VITOL(バイトル)」を開発。4月にはNC形彫り放電加工機「Aシリーズ」を発売しました。
さらにその翌年 3月には、新NC電源装置「MARK IV」および「MARK V」を発表し、NC電源装置のシリーズ化を果たしました。同年11月には、“NC 4軸プラス回転主軸を持ったNC形彫り放電加工機”を開発。
1984(昭和59)年9月、細穴放電加工機を開発・発表し、11月にはワイヤ放電加工用の超仕上げ回路「PIKA-2」、NC形彫り放電加工機「A1C」のほか、ワイヤ放電加工機用NC電源装置「MARK VII」を発表しました。
1985(昭和60)年2月には新シリーズ機「EPOC」、11月には漢字によるカラーCTR表示・対話方式の新NC電源装置「MARK X」および「MARK XI」を発表。
また1986(昭和61)年10月、3次元形状測定機能付NC形彫り放電加工機「AP3S-ATC」、自動金型設計・製作システム「DiPro X」(ダイプロ・テン)、NC電極加工機「APM1」、その翌年8月には NCワイヤ放電加工機「Aシリーズ」と、NC電源装置「MARK X」シリーズの“ゴールドタイプ”を発表しました。

これらの製品は日本のものづくりに大きな貢献をもたらし、その優れた技術力は各方面から高い評価をいただきました。
鏡面仕上げ回路「PIKA-1」は1981年度(昭和56年度)(財)日本発明振興協会 「発明功労賞」、放電加工用高性能特殊加工液“VITOL”(バイトル)は1982年度(昭和57年度)(財)日本発明振興協会 「考案功労賞」、“NC4軸プラス回転主軸を持ったNC形彫り放電加工機の開発”は1983年度(昭和58年度)(財)機械振興協会 「機械振興協会賞」、NCワイヤ放電加工機「A500」・「A350」は1988年度(昭和63年度)通商産業省選定 「グッドデザイン賞」を受賞しました。

お客さまのご要望に応えるため、常に努力を積み重ね、製品開発を行ってきたソディックは、放電加工のパイオニアとしての地位をゆるぎないものとしました。

ソディック創業者古川利彦会長インタビュー 技術練磨・躍進期篇

こういった優れた技術が生み出される要因は何だったのでしょうか
古川私がうるさかったからかな(笑)。もちろんそれだけではなく、みんな努力していた。
ここで優れた技術を生み出せば、大きな展開になる確信されていたのでは
古川お客さんの要望はいっぱいあったからね。夜も帰れないぐらいみんな働いてたよ。福井工場は田んぼの真ん中にあって一日中電気がついてるから、当時「不夜城」と呼ばれてましたね。
この時期に特にご苦労されたエピソードを教えてください
NC紙テープ NC紙テープ 古川 ソフトの開発には苦労しましたよ。担当者が一晩中紙テープにプログラムをパンチングするんです。昔のパソコンはそうやってソフトを作っていくのだけど、作っていってコンピュータに入れて間違っているとなると、そのテープを切ったり貼ったりしてソースプログラムを直す。
そのうち、テープがどんどん大きくなっていき、それを新しく書き直すのにすごく時間がかかった。
それを今度は機械言語に変換してからロムに書き込む。でも今みたいにコンピューターが進んでないから、前のデータをすぐ消してすぐ書き直して...ということができない。長い時間紫外線を当てて前のデータを消して書き直して。だからロムを書き直すのにはとても苦労しました
それをやっているうちに、またプログラムを直す必要がでてきて、また紙テープから直さないといけない。それはもう寝ている時間などなかったですね。

※「ロム」:ROM「Read Only Memory 読み出し専用の記憶素子」

 
第1回目のインタビューは創業前夜~技術練磨・躍進期までのお話しをお聞きしました。
たゆまぬ努力により、一代で世界的企業へと成長させた会長。
お話しされる言葉の端はしから「ものづくり」に対する熱い情熱が伝わってきて、 非常に実直なお人柄という印象を受けました。 今回、改めてお話を聞くことにより、私たちが普段何気なく手にしている製品が、開発者の方の創造、実行、苦労・克服のもとにできていることに改めて気が付きました。
また、知識に乏しいインタビュアーのために「ローラン加工方法」について模型を使ってわかりやすくご説明してくださったり、インタビュー中にも時折ユーモアをはさんでお話しされたりと、隅々までご配慮してくださいました。
「我々の仕事は、明日をつくる仕事だから」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っています。
 

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