ソディックの歴史第2回 飛躍期~海外展開期

中国での展開
ソフトウェア制作会社の設立

上海沙迪克軟件有限公司(Shanghai Sodick Software Co., Ltd.)
上海沙迪克軟件有限公司
(Shanghai Sodick Software Co., Ltd.)



中国でも経済発展とともに放電加工機の必要性が高まってきていました。
1985(昭和60) 年ごろ、ソディックは上海交通大学から現地の金型協会の立ち上げの協力要請を受け、放電加工機の使用方法や技術を指南します。

上海交通大学は、金型製作に欠かせないCAD/CAM (コンピュータ利用設計・製造) ソフトの開発・販売までを事業化していました。
そこでソディックは自社製品に必要なソフトウェアの開発を上海交通大学に依頼。当時の中国の人件費は日本の10分の1で、優秀な学生がたくさん在籍していました。

同時にソフトウェア会社を共同で設立することを提案。1991(平成3) 年5月、上海交通大学・上海市・ソディックの共同出資による「上海沙迪克軟件 有限公司」を設立しました。
現在ではソディックの数値制御に用いるソフトウェアの多くを手がけるほか、さまざまな機械のソフトウェア開発も活発に行なっています。

工場設立

蘇州工場
蘇州工場



タイ工場に続き、事業拡大のために中国でも放電加工機の工場設立を検討するようになっていました。

しかし、ビジネスの手法の違いから、なかなか信頼できるパートナーに巡り合うことができませんでした。粘り強く交渉を重ねるうちに、お互い信頼でき、高め合うことのできる最適な相手が見つかり、共同事業の設立を進めました。
まずは先方が主体となり、1994(平成6) 年6月「合弁会社蘇州沙迪克三光機電有限公司」を設立。その半年後11月に今度はソディックが主体となり、「蘇州沙迪克特種設備有限公司」を設立しました。

また、安定した部品供給のため、1995(平成7) 年9月に鋳物製造会社「蘇州STK鋳造有限公司」を合弁 (TOWA、兼松KGK) で設立。 現在、月間500~600tの部品を製造し、日本やタイに供給するまでに成長しています。

販路拡大へ

中国での工場が設立されたころ、中華圏での販路拡大にも着手し始めます。1994(平成6) 年4月、シンガポールに「Sodick Singapore Pte.,Ltd.」を設立、11月には北京に中国販社1号となる「北京沙迪克機電有限公司」を設立しました。その後、1996(平成9) 年1月、台湾に「Sodick (Taiwan) Co., Ltd.」を、4月に上海に「沙迪克機電 (上海) 有限公司」を、10月には香港に「Sodick (H.K.) Co., Ltd.」を矢継ぎ早に設立。
こうして次々と販路体制を築き強化していった結果、2014年では中華圏の売上はソディック全体の約28%を占めるまでに拡大しています。

ソディック創業者 古川利彦会長インタビュー 中国編

1994年には、蘇州で現地会社との合弁会社という形で工場も建設されました。信頼できるパートナーを見つけるために相当なご苦労があったとお聞きしていますが。
古川 昔の話ですが、長く技術提携していた研究所が、より多く資金をくれるところへ行ってしまったんです。 仕方がないので、その後もあきらめず信頼できるパートナーを探し続けました。ビジネス手法の違いで驚くこともありましたが、いちいち角を立てるのではなく、先方にも教えてもらうつもりで一方的ではない関係を築きたいと考えていました。そんな時、やっと「一緒になって頑張りましょう」といえるパートナーをみつけることが出来ました。人の手配から設備、工場建設や機械を安く仕入れるなど、色々なところで手伝ってくれました。
共に伸びていくっていう感じでやれれば、信頼関係は築いていけるんです。
中国進出の際は、協力企業の存在が不可欠だったと思うのですが、交渉するにあたり、気をつけていたことはございましたか。
古川何されても許せればいい。いちいちカリカリしない。
中国で仕事するということは、中国の人たちから学ぶつもりでいくと、受け入れてくれるのです。それは我々も一緒で、新しい事を勉強したいですからね。
だけど、どうやっても真似ができないところがあればいいのだと思います。それが、ソディックのコアになる技術にあたります。
そこはいくら真似しようとしても、できないところだから。それがすぐに真似できるようなものでは、まず世界には行けません。
見かけ上は似たようなものでも、やっぱり中身は違うんですよ。

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