ソディックの歴史第1回 創業前夜~技術練磨・躍進期

創世期(1976年~)
ソディック創立、世界初NC放電加工機の開発

ソディックの前身MEP当時の様子
ソディックの前身MEP当時の様子


オイルショックによる不況と、会社との技術開発に対する方向性の違いにより独立を決意した古川は、1976(昭和51)年8月、横浜市緑区に「株式会社ソディック」を設立。社員24人からのスタートでした。
ほどなくして大阪営業所を開設。以降、全国に支店・営業所の開設を展開していきました。

そのころ、放電加工機市場は「穴あけ加工」から「三次元加工」が主流が変わりつつありました。三次元加工は、穴あけ加工にくらべ、より複雑な加工が必要であるため、加工者の負担が増えていました。そのため、正確な放電加工を実現する性能と柔軟な応用力が求められていたのです。
従来のように加工方法が変わるたびに機械のハード(集積回路(IC)・電源など)を入れ替えるようでは、手間もコストもかかりお客さまに喜ばれない。
そこでソディックの開発スタッフは思案の末、ハードの代わりにソフトを変更する方法を考案しました。それは数値制御による加工を可能にする、すなわち「NC装置」付き放電加工機の開発を示していました。

ただ、放電加工機のNC装置の開発はどこの企業も行なっていなかったため、自社でつくるしか道はありませんでした。
設立からまだ日も浅いソディックにとって社運をかけた開発でしたが、お客様の要望に必ず応えたいという信念のもと、リスクを恐れず立ち向かっていきました。

その結果、1976(昭和51)年12月、世界初となる「マイクロ・コンピュータ付きNC形彫り放電加工機第1号」を納入、翌年3月にはNC形彫り放電加工機用電源装置「GPC」シリーズを完成させ、これをもとに事業拡大を進めていきました。

ソディック創業者 古川利彦会長インタビュー 創世記篇

NC装置を作られたときのお話を聞かせてください
4ビットのマイクロコンピュータ 4ビットのマイクロコンピュータ 古川当時、4ビットのマイクロコンピュータが人工衛星打ち上げに使われたっていうのを聞いたんですよね。それまではみんな記憶回路は用途に合わせて、別々なプリント基板とし自分で作っていたんです。大きい基盤に2万個くらい穴を開けてダイオードをでつないでメモリー盤を作っていてね。そのメモリーをいろいろ取り替えられるものがアメリカでできたらしいと噂を聞いて、インテルに行って使わせてくれって言ったんだけどだめだった。
結局、電卓を分解して そのコンピュータ部分を使ってソフトウェアを作り始めたんですよ。
なかったら出来ないと普通は思ってしまいそうですが
古川自分のやりたいことをやろうと思ったら、「ない」じゃ済まされない。どうしても自由にソフトウェアで変えられるものが作りたかった。それが、加工精度を上げ、さらに加工者の負担を減らして、技術を生かす方法だとわかっていましたから。
そうして生まれたNC放電加工機は、お客さんに喜ばれたんじゃないでしょうか
古川えぇ。プログラムさえ入力すれば誰でも同じようなものができるようになったからね。お客さんも夢を抱いて、これがやりたいんだって思ってることがいっぱいあると思うんですよ。
ソディックの機械だったら、多少壊れながらでも他にはないことが出来るんだと、夢を託してくれていたんだと思うんですよね。
 
ソディックの社名の由来ソディックの社名は「創造(So)、実行(di)、苦労・克服(ck)」に由来しています。
それは、お客さまのニーズに沿うものをつくるためならば、どんな苦労もいとわず、何としても課題を克服しようという熱い思いが込められています。その思いは今も社是として受け継がれています。
 

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